私が本格的に自転車競技を始めたのは高校入学後。
ですが厳密に言ってしまうと中学3年生の受験が終わってからロードバイクを買ってもらい少しだけ乗り始めてました。
高校から自転車を始めるということで決まっており、高校への入学が決まっていたからです。
目次
自転車を始めるきっかけになった一輪車
私が自転車ロードレースを始めるきっかけになったのは一輪車です。
皆さん知らない方がほとんどだと思いますが、一輪車にはマラソンという競技があります。
その競技で日本一になり、自転車競技を始めることになったのです。
本当に凄い体験だったので、一輪車のエピソードを書いていきたいと思います。
一輪車の大会って何ですか?と聞かれたとしたら、音楽などに合わせて様々な技を披露する大会と言う方が多いかもしれません。私が行っていたのは一輪車で42.195kmフルマラソンを走るという競技でした。
私が一輪車を始めたのは小学校5年生の時でしたが、それまで私も一輪車マラソンという競技があることは全く知りませんでした。
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上記のような一輪車に乗ります。
そもそも一輪車のフルマラソンってどういうこと?と思われた方がいると思いますが、これは皆さんが知っている陸上のマラソンと一緒です。
一輪車でフルマラソン、42.195kmを走ったり、その半分のハーフマラソンを走ったり、襷を繋ぐ駅伝大会などがあったりと陸上のマラソンと全く一緒です。
私はハーフマラソンはあまりやったことがなかったのですが、フルマラソンと駅伝は毎年大会に出ていました。
一輪車を始めたきっかけ
一輪車を始めたきっかけは2人の妹と両親が近くの大きな公園の周りの道路で一輪車に乗っている、練習している人達のチームと出会ったことから始まります。
妹2人がその出会いからチームの見学に行き、一輪車の競技をいつの間にか始めてました。始めてましたというのも、私はその時クラブチームでサッカーをしていてその場にいなかったので、妹達がどのような話で始めたか詳しいことは分かりません。
そしてそこの一輪車のチームをまとめている監督のような方が、当時とにかく物凄く怖くて、厳しい方でした。名前を市山さんといいます。
市山さんがどれくらい厳しい方だったか、簡単に言えるエピソードがあります。
下の妹は当時3歳でした。3歳の妹が一輪車の練習中にいくら泣いても最初に決めた距離が終わるまでは練習は終わらせないという方でした。その距離は少なくても10kmくらいではなかったのかと記憶しています。3歳の女の子が10kmです。
サッカーが先に終わって、一輪車の練習をしている妹達を見に行くと様々なことで私は毎回何かと怒られていました。
挨拶の仕方や普段の心構えなど色々質問されては、私が市山さんにとってすっとんきょうな答えをしていたので、とにかくずっと怒られてました。
私だけ厳しい一輪車の練習をせずに、練習場に行っても妹達が頑張ってる横でサッカーだけしていたというのもあると思います。
そんなことが半年程続き、ある日市山さんから「お前はサッカーだけしていてもダメだ、サッカーだけしていて伸び悩んでるなら、一輪車でバランスを鍛えてみたらどうだ?」と言われました。
私は正直やりたくないな、怖いし、めんどくさそうだし、疲れそうだし、と様々な理由からどうやったらやらなくて済むのだ?と考えました。
しかし当時小学5年生の私が市山さんを納得させる答えを見つけられる訳もなく、ただただ怒られるのが怖いからと大きな声で「やります!」と言ってしまったのが一輪車の始まりでした。
私に一輪車を始めさせてくれた市山さんという方は、大人になった今でも私を常に気にかけていてくれ、今でも贈り物などを送ってくださる大切な方です。
その度に様々な為になる話をしてくれて、私に人生の指標をくれる方です。過去も現在も頭が上がりません。私の人生の師匠のような方です。
ちなみに私の自転車の師匠は三浦恭資さんです。
市山さんの息子、研君との出会い
そこのチームには私より歳が1つ上の市山 研という名前のお兄さんがいました。研くんはそのチームで1番強く、当時小学校6年生でしたが、既に大会で日本一になるなど日本で最も速い一輪車の選手でした。
そしてその研くんのお父さんこそが、当時物凄く怖がっていた市山さんでした。
研くんは9歳の時に一輪車で日本縦断、10歳の時に一輪車で日本一周したという過去があります。私が出会った時には既に一輪車で日本一周した後であり、一輪車のフルマラソンの大会で日本一、当時の私の頭ではすぐに理解できない肩書きを沢山持っているお兄さんでした。
皆さんよく考えて下さい。9歳の子供が日本縦断、10歳の子供が日本一周です。しかも一輪車でですよ?
その背景には市山さんの存在がもちろんあります。ネットもあまり普及していなかった時代、子供がいきなり一輪車で日本縦断したいと言い出すと思いますか?そんなことはありません。
そのような厳しい経験をさせてこそ、厳しさが普通になってこそ素晴らしい体験ができると考えるような方でした。
市山さんに「なぜあの時そのようなことをしたんですか?」と聞くと、「俺がそうしたかったからそうしたんだ」といつも言われます。しかし私はそのようなことが背景にあるのではないかと市山さんの行動や考えを思い返してみて思います。
一輪車を始めました。嫌々始めました。
ただ研くんに勝てれば日本一になれるのです。
しかし、一輪車で日本一周、フルマラソン最速男を倒すこと、その人に勝つなんてそんなに甘いものではありませんでした。想像を絶する物凄い練習量だったのです。
続き→一輪車の話 2